※映画『夜明けのすべて』のネタバレを含みます。
2024年2月より公開中の映画『夜明けのすべて』を鑑賞。
これを綴っているのは2/22(木)の21時44分*1。
そう、『夜明けのすべて』ベルリン映画祭参加記念!<一夜限りの特別限定ダイジェスト付き上映>の上映回後ホヤホヤ。
ちなみに今日が初見ではない。公開日当日に早速見に行ったが、
如何せん気持ちがまとまらない。湯水のように感想が湧き上がってくる。
あまりにも酷い散文を世に放ちかねないと判断したため、2回目以降の鑑賞で言語化することに。
過去一長いブログになること悪しからず。
PMSとパニック障害
いきなり私事で恐縮だが、私はPMS*2と抑うつ、適応障害を抱えている。
今作でいう主人公たちに同じ病名、近しい病名を診断された。
特にPMSは、藤沢さんと同じように爆発的で抑えきれない怒りか、どうしようもない胃痛のどちらかが発症する。
しかし、毎回ではないし、怒りは家族に向けてしか起きない。職場や友人たちの前で怒り狂ったことは今までのところ無い。
ちなみに胃痛はほぼ毎回発症するようになった。
抑うつや適応障害では、自分の部屋、酷いときはベッドから出ることが怖くなる。得体のしれない恐怖に苛まれ、通勤はおろか日常生活もろくに送れなくなる。
電車内が混雑していたり、サイレンのような大きな音が聞こえたりするだけでソワソワドキドキと落ち着かない、冷静さを欠いてしまう。
仕事をする手は止まり、車内でまともに立っていられなくなる。
だから、ちょうど一年前に原作を読んだときは、その部分の描写でフラッシュバックしてしまった。
本を読んでいるだけでその感覚に襲われる。辛い。苦しい。
そのくらい、彼ら二人の境遇や感覚にいたく共感してしまった。
この映画は、本当にそれらを、過保護に扱うのではなくただ当たり前の日々に『在る』ものとして描かれている。原作の良さをそのまま映像化しているようだと、私は感じ取った。
そんな主人公たちの周りにいる、
理解できない人、
理解しようと必死になる人、
理解の枠ではなくその時その時の彼らを支えてくれる人
の存在が、あまりにも優しく、生々しく描かれているのもポイントである。
住川さん
作品に出てくる登場人物は誰もが『自分の周りに居そう』なのである。
その中でも私が特に魅力的に感じたのが、主人公たちの職場の先輩である住川さんだ。
PMSでイライラが止まらず会社で強くあたってしまった藤沢さんが後日お詫びにお菓子を差し入れるシーンにて、
「こういう差し入れ、ダメよ習慣になっちゃうから。でも私ここの大福大好きなの、ありがとうね。」(ニュアンス)
という住川さんのセリフがある。
感動した。私まで少し救われたような気がした。
映画冒頭、藤沢さんの口上に
「いったい私は周りにどういう人間だと思われたいのだろうか。」
「どうふるまうのがいいのかいちいち考えてしまう。」
という言葉が登場する。
これである。
周りからの目を気にするがあまり、怒りでコントロールできなくなった後にふと我に返って、過去の自分を振り返ると、そこには絶望しかない。
だからこそ、必要以上に頭を下げてしまうし、
もうその場には居られなくなってしまう。
そんな中、イライラする藤沢さんを上手く窘めて、でも深入りは決してせず、
お詫びにキリが無いことを伝えながらその行為と気持ちにはきちんと感謝を伝える。
こんな配慮がごく自然とできる住川さんのような人が1人でも居るだけで、
ここにいても良いのだという許しを得られる感覚を覚えるのである。
私は住川さんのような大人になりたいし、
私の周りに住川さんみたいな大人が居てほしい。
自転車
個人的に、今作の鍵のひとつは『自転車』であると考える。
作中に自転車が至る所で現れるし、
二人がお互いに少しずつ分かり合うきっかけは自転車を譲ることだったし、
山添くんの心のなかに小さな灯火が差したのは町中を自転車で移動するときだったし。
原作では違う描かれ方であったが、それでも山添くんが町中で自転車を漕ぐシーンは、物語の大きな転換ポイントである。
その実、私は自動車の免許を持っているが、運転中にパニックになることがあったため、自力での移動は専ら徒歩か自転車である。
だからか、『自転車』というアイテムは本当に、リアルなのである。
まだ自動車免許を持っていなかった幼い頃から漕いでいた自転車。まさか大人になってもここまで重宝するとは思わなかった。
映画では原作以上に自転車を意識するシーンやちょっとした映り込みが多い。
2回目である本日は、それらをより意識しながら鑑賞するのが楽しかった。
意識すると思った以上に自転車が散りばめられているが、
一番印象的なのは、やはり藤沢さんが山添くんに自転車を譲ることを思いつくシーン。
音しか無いのだが、確かに最も重要な自転車であった。
そしてその音を聞いた藤沢さんの目の動きや動作、ちょっとした所作が、とてもチャーミングなのである。
仕事、凄い
本当に個人的なことだが、私は私の持つ症状たちのせいで幾度となく退職している。
社会人になってから半年続いたことはまだ無い。
これを書いている現在は休職中だし、退職後に引きこもりにだってなったことある。
だからこそ、各々の事情を抱えた上で、働くことを選び続けているこの作品の登場人物たちは本当に素晴らしく見えるし羨ましくも見える。
発症を受け入れてくれる職場というのは、私にとっては稀有で夢のような場所。
転職サイトで栗田科学探してみようかと血迷う程である。
でも今思い返すと、藤沢さんが前職と栗田科学で働くまでの間には2年間の空白が見られたし、山添くんも転職するというアクションを起こすまではきっと彼なりの空白があったことは想像に容易い。
意外と、人生に空白って、あるものなのだろうな。
原作以上の『ひとつの町』
私が読み落としている可能性はもちろん否定できないが、
この映画の登場人物たちは原作以上にひとつの町で生活していると感じた。
だからこそより一層、誰もが何かを抱えながら、それでも周りに寄り添い寄り添われながら生きていくことの温かさを感じることができる。
私の中で胸アツだったのは、栗田社長と辻本さんが同じ集いで時間や思いを共有していた事実。
山添くんは山添くんが思う以上に、周りに支えられているのだなと、他人ながら心温まる。
原作だと辻本さんは、より目立たずに山添くんのことを遠くから想っている人であったが、様々なシーンで山添くんとの絡みがある。
原作でいう中盤以降の一貫したサブクエストのような流れが丸々無いからこそ生まれた、映画ならではの絡みの数々。
正直本作品の中では一番リアルには欠けるところであると感じたが、温かみというテーマには非常にピッタリである。
そして、今日もこの町に、この人々が生活をしているのだという感覚をもたらしてくれる映画の畳み方。天晴。
ベルリン楽しそう
松村さんも上白石さんも、ベルリンを楽しめているようで良かった!!!!!!
松村さんライブ終わりに突貫で向かったから少し疲れてそうに見えますが!!!!!!
ベルリンの町も映画祭も楽しめているようで何より!!!!!!
オタクにとても優しいダイジェストでした。本当にありがとう運営様。
求人サイドを見漁っても栗田科学はありませんでした。どうして。