求:栗田科学 譲:労働力 ─映画『夜明けのすべて』鑑賞感想─

 

※映画『夜明けのすべて』のネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年2月より公開中の映画『夜明けのすべて』を鑑賞。

 


これを綴っているのは2/22(木)の21時44分*1

 


そう、『夜明けのすべて』ベルリン映画祭参加記念!<一夜限りの特別限定ダイジェスト付き上映>の上映回後ホヤホヤ。

 

 

 

ちなみに今日が初見ではない。公開日当日に早速見に行ったが、

如何せん気持ちがまとまらない。湯水のように感想が湧き上がってくる。

 


あまりにも酷い散文を世に放ちかねないと判断したため、2回目以降の鑑賞で言語化することに。

過去一長いブログになること悪しからず。

 

 

 

 

 

PMSパニック障害

いきなり私事で恐縮だが、私はPMS*2抑うつ適応障害を抱えている。
今作でいう主人公たちに同じ病名、近しい病名を診断された。

 

 

特にPMSは、藤沢さんと同じように爆発的で抑えきれない怒りか、どうしようもない胃痛のどちらかが発症する。

 

しかし、毎回ではないし、怒りは家族に向けてしか起きない。職場や友人たちの前で怒り狂ったことは今までのところ無い。
ちなみに胃痛はほぼ毎回発症するようになった。

 

 

 

抑うつ適応障害では、自分の部屋、酷いときはベッドから出ることが怖くなる。得体のしれない恐怖に苛まれ、通勤はおろか日常生活もろくに送れなくなる。

 

電車内が混雑していたり、サイレンのような大きな音が聞こえたりするだけでソワソワドキドキと落ち着かない、冷静さを欠いてしまう。

仕事をする手は止まり、車内でまともに立っていられなくなる。

 

だから、ちょうど一年前に原作を読んだときは、その部分の描写でフラッシュバックしてしまった。

本を読んでいるだけでその感覚に襲われる。辛い。苦しい。
そのくらい、彼ら二人の境遇や感覚にいたく共感してしまった。

 

 

 


この映画は、本当にそれらを、過保護に扱うのではなくただ当たり前の日々に『在る』ものとして描かれている。原作の良さをそのまま映像化しているようだと、私は感じ取った。


そんな主人公たちの周りにいる、

 

理解できない人

理解しようと必死になる人

理解の枠ではなくその時その時の彼らを支えてくれる人

 

の存在が、あまりにも優しく、生々しく描かれているのもポイントである。

 

 

 

 


住川さん

作品に出てくる登場人物は誰もが『自分の周りに居そう』なのである。

その中でも私が特に魅力的に感じたのが、主人公たちの職場の先輩である住川さんだ。

 

 

 

PMSでイライラが止まらず会社で強くあたってしまった藤沢さんが後日お詫びにお菓子を差し入れるシーンにて、

 

「こういう差し入れ、ダメよ習慣になっちゃうから。でも私ここの大福大好きなの、ありがとうね。」(ニュアンス)


という住川さんのセリフがある。

 

 

 


感動した。私まで少し救われたような気がした。

 

 

映画冒頭、藤沢さんの口上に

 

「いったい私は周りにどういう人間だと思われたいのだろうか。」

「どうふるまうのがいいのかいちいち考えてしまう。」

 

という言葉が登場する。

 

 

 

これである。

 

 

 

周りからの目を気にするがあまり、怒りでコントロールできなくなった後にふと我に返って、過去の自分を振り返ると、そこには絶望しかない。

 

 

だからこそ、必要以上に頭を下げてしまうし、

もうその場には居られなくなってしまう。

 

 

 


そんな中、イライラする藤沢さんを上手く窘めて、でも深入りは決してせず、

お詫びにキリが無いことを伝えながらその行為と気持ちにはきちんと感謝を伝える。

 


こんな配慮がごく自然とできる住川さんのような人が1人でも居るだけで、

ここにいても良いのだという許しを得られる感覚を覚えるのである。

 

 

 

私は住川さんのような大人になりたいし、

私の周りに住川さんみたいな大人が居てほしい。

 

 

 

 

 

自転車

個人的に、今作の鍵のひとつは『自転車』であると考える。

 


作中に自転車が至る所で現れるし、

二人がお互いに少しずつ分かり合うきっかけは自転車を譲ることだったし、

山添くんの心のなかに小さな灯火が差したのは町中を自転車で移動するときだったし。

 

原作では違う描かれ方であったが、それでも山添くんが町中で自転車を漕ぐシーンは、物語の大きな転換ポイントである。

 

 

 

その実、私は自動車の免許を持っているが、運転中にパニックになることがあったため、自力での移動は専ら徒歩か自転車である。

だからか、『自転車』というアイテムは本当に、リアルなのである。

 

 

まだ自動車免許を持っていなかった幼い頃から漕いでいた自転車。まさか大人になってもここまで重宝するとは思わなかった。

 

 

映画では原作以上に自転車を意識するシーンやちょっとした映り込みが多い。

2回目である本日は、それらをより意識しながら鑑賞するのが楽しかった。

 

 

 

意識すると思った以上に自転車が散りばめられているが、

一番印象的なのは、やはり藤沢さんが山添くんに自転車を譲ることを思いつくシーン。

音しか無いのだが、確かに最も重要な自転車であった。

 

 

そしてその音を聞いた藤沢さんの目の動きや動作、ちょっとした所作が、とてもチャーミングなのである。

 

 

 

 

 

仕事、凄い

本当に個人的なことだが、私は私の持つ症状たちのせいで幾度となく退職している。

社会人になってから半年続いたことはまだ無い。

 

 

これを書いている現在は休職中だし、退職後に引きこもりにだってなったことある。

 

 

だからこそ、各々の事情を抱えた上で、働くことを選び続けているこの作品の登場人物たちは本当に素晴らしく見えるし羨ましくも見える。

 

発症を受け入れてくれる職場というのは、私にとっては稀有で夢のような場所。
転職サイトで栗田科学探してみようかと血迷う程である。

 

 

 

でも今思い返すと、藤沢さんが前職と栗田科学で働くまでの間には2年間の空白が見られたし、山添くんも転職するというアクションを起こすまではきっと彼なりの空白があったことは想像に容易い。

 

 

 

意外と、人生に空白って、あるものなのだろうな。

 

 

 

 

 

原作以上の『ひとつの町』

私が読み落としている可能性はもちろん否定できないが、

この映画の登場人物たちは原作以上にひとつの町で生活していると感じた。

 

 

だからこそより一層、誰もが何かを抱えながら、それでも周りに寄り添い寄り添われながら生きていくことの温かさを感じることができる。

 

 

私の中で胸アツだったのは、栗田社長と辻本さんが同じ集いで時間や思いを共有していた事実。

山添くんは山添くんが思う以上に、周りに支えられているのだなと、他人ながら心温まる。

 

 

原作だと辻本さんは、より目立たずに山添くんのことを遠くから想っている人であったが、様々なシーンで山添くんとの絡みがある。

原作でいう中盤以降の一貫したサブクエストのような流れが丸々無いからこそ生まれた、映画ならではの絡みの数々。

 

正直本作品の中では一番リアルには欠けるところであると感じたが、温かみというテーマには非常にピッタリである。

 

 


そして、今日もこの町に、この人々が生活をしているのだという感覚をもたらしてくれる映画の畳み方。天晴。

 

 

 

 

 

ベルリン楽しそう

松村さんも上白石さんも、ベルリンを楽しめているようで良かった!!!!!!

 

 

松村さんライブ終わりに突貫で向かったから少し疲れてそうに見えますが!!!!!!

 

 

ベルリンの町も映画祭も楽しめているようで何より!!!!!!

 

 

 

 

オタクにとても優しいダイジェストでした。本当にありがとう運営様。

 

 

 

 

 


求人サイドを見漁っても栗田科学はありませんでした。どうして。

*1:さらにこれを投稿しているのは3/23(土)の10時37分。副音声まできっちり聞いている。

*2:何なら月経困難症もたまに発症する。役満

この日泊まったビジネスホテルの部屋は心なしかちょっとセピアだった。ー映画『キリエのうた』鑑賞感想(ネタバレ無し)ー

 

 

 

 

 

※このブログは映画『キリエのうた』公開3日後に鑑賞した後に書かれたものである。何故この日まで寝かせていたのか。誰も知る由もない(怠惰)。

 

 

 

 

 

 

***********************

 

 

 

 

 

映画『キリエのうた』公開の3日前、私は盛大に悩んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

公開日の13日にどうしても見たい、しかしその日は仕事。3連勤の初日。

終わる頃にはレイトショーの枠しか残っていない。

 

 

 

 

行先の映画館は、仕事先の近くか、帰宅途中にあるところの2択。

どちらにせよ終電逃しはほぼ確定。

となると、家に帰らずに翌日の仕事を迎えることになる。

 

 

 

私のバイタリティでは到底敢行出来ないスケジュールである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


悩みに悩んだ挙句、3連勤後のレイトショーで鑑賞することにした。

エンドロールが始まったら全力ダッシュで終電に乗れば良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ要するに、「キリエのうた」という映画を、いつも映画を観に行くときのような心構えでしか捉えていなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところがどっこい、観に行くとどうだ。

 

 

 

 

 


あまりにも小説。

 

 

 

私は今、小説を読んでいるときのような没入感に襲われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恥ずかしい話、公開前に上映時間を知った私は思わず御手洗のことを考えてしまっていた。そのくらいボリューミーであった。

 

だが、それすら忘れるほどに、上映時間はあっという間に過ぎ去っていった

現X(旧Twitter)で拝見した尿意対策*1を講じたことも一役買っただろう)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閑話休題

 

私は、昔から小説を読むときに周りの音や時間感覚が無くなるといった没入感に襲われることが多々あった。

 

 

 

 

 

 

 

小中学生時代の朝読書の時間、

授業休みの10分休憩、

朝クラスの誰よりも早く登校していた中3の秋冬。

家にいる時間は言うまでもない。

本を読んでいるとき、そこには物語と私しか居ないのだ。

 

 

 

 

 

 

 


学校のチャイムが鳴ったとき、本を読み終わったとき、

ふと意識が戻ってきたときに、頭が物語の世界から抜け出せずに行動不能に陥る。

 

 

 

 

 

 

私はその感覚、没入感が大好きだ。

 

それを、久方ぶりに、映画で体感してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

文章をなぞるような丁寧な心理描写、演技、映像、音。

映画を観るときに使う五感の全てが、物語に埋まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


もちろん終電は逃した。あえてだ。

物語に埋まった私は、即座に抜け出し、駅へと駆け込むことを拒否した。

 

 

 

 

 

 

もっと浸っていたかった。

もっと彼らのことを、1人で考えていたかった。

彼らの物語に向き合いたかった。

それが、彼らの人生を垣間見た私に表せる、唯一の敬意であった。

 

 

 

 

 

 

 

 


終電への執着心なぞとうに放り捨て、私はホテルへ向かうべく寝静まった夜の街へと繰り出した。
道すがら込み上げてくる感情に、足元を掬われないよう、自意識をかき集めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


余談だが、これを書いているのは鑑賞の翌日。ホテルから帰宅し1時間で支度を済ませ、ディズニーへと向かう電車の中である。情緒どないすんねん。*2

 

 

 

*1:『映画を見る前に大福や餅を食べる』『鑑賞中はポップコーンを食べると良い』等々。栗大福を食べたらフードコートのテーブルに粉を盛大にぶちまけた。ごめん。

*2:TDR40周年記念のパレード『ハーモニー・イン・カラー』で本家のリビング・イン・カラーをようやく観れたしダンサーさんからハイタッチのファンサ貰ってしっかり楽しんだ。

正直彼が一番分からない。 -ジェジーさん誕生日おめでとうございます-

 

みなさま初めまして、ごきげんよう、朱(しゅ)と申します。

 

 

今日は6月11日日曜日。

 

そう。

 

本日は、SixTONES創世神であり、メンバーを愛し愛され、センターに立ち続け、SixTONES屈指のギャガ―*1であるジェシーさんの誕生日。

 

 

ジェシーさんの誕生日を記念して、彼に関するいくつかのキーワードを紐解くと共に、スト沼半年の新参者である私の主観をダラッダラと書きなぐりたいと思う。

 

 

最初に記すが、私は彼が一番分からない。人間だれしも分かり合えることなんてないと思いながら日々生活をしている私だが、それにしても彼は分からない。

 

共通項が少なすぎるのが一番の要因であると考えられるが、その共通項の無さはどこに起因しているのだろうか。それも書きながら模索できればと思う。

 

あくまでも主観です故、最大限配慮はしますがもしかしたら失礼なことを書く可能性もあります。許せない人は今すぐブラウザバックしてください。もしくは私の別の記事読んで。

 

 

 

 

ジェシーさん誕生日企画 キーワード解読

1.光が強いほどまた影も強くなる <太陽>

 

ジェシーさんといえば、team SixTONES全員にとっての”太陽”。

 

ではそもそも太陽とは何ぞや。

Google先生経由でJAXAの子ども用ページに飛んだら太陽についてこう記載されたいた。

 

 

『太陽はわたしたちの銀河系にある恒星こうせい のひとつで、地球にもっとも近い恒星です。 (中略) そのエネルギーが光と赤外線(熱)となって地球にふりそそいでいるため、わたしたち生物は生きていけるのです。』

太陽・太陽のすがた│宇宙ワクワク大図鑑│宇宙科学研究所キッズサイト「ウチューンズ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『わたしたち生物は生きていけるのです。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無理!!!!!!!!!

 

 

 

なんなんこのクソでか感情製造機みたいな言葉。

 

太陽が無いと我々地球上の生物は生きていけない。それは周知の事実であるがしかし。

 

 

SixTONESジェシーがいないと生きていけない…?

 

 

 

 

 

 

そう、ここ。これ。

私がたったの半年しか応援していないにも関わらず、一番分からないと断言してしまう原因。

 

 

 

「彼のポジション、重くねぇか?」

 

 

 

 

 

 

 

2.偶数でも <センター>

 

ジェシーさんといえば言わずと知れた”センター”

 

 

このワードを初めて聞いたとき、大きな違和感に襲われた。

 

 

 

「6人なのにセンターって何?」

 

 

 

 

誰が同じ気持ちになった人はいないだろうか。賛同者が欲しい。

 

もちろん京本さんとのダブルセンターという意味が前提にあるのかもしれないが、グループ内外、引いてはテレビやYouTubeなどでSixTONESのセンターとしてフィーチャーされるのはジェシーさんが非常に多い気がしている。

 

近々でいうとこれとか。

youtu.be

 

 

時間指定のやり方が分からず申し訳ないが、この動画の14:00ぐらいから。

 

 

希望の星」「こいつの元に全員集まっちゃうかも」「俺Center

 

 

 

 

 

なんだろうこの、センターに立つ者としての覇者感。堂々たるセンター。ひれ伏さざるを得ない感じ。

 

 

周りも周りで、彼への妄信的*2とも感じとれてしまう信頼感が滲み出ている様子。

 

 

”センター”というワードに限らず、メンバーは度々彼への盲目的*3ともいえる信仰心を垣間見せる。

特に””と評されるあの2人の発言から滲み出るそれらは、あまりにも濃厚である。細かく記述することは筆者のメンタルにキてしまうため省略。多分みんなのほうがそういう発言多々見かけていると思うから書かなくても分かるっしょ。

 

 

 

そうして抱く思いはただ一つ。

 

 

 

 

 

「彼のポジション、重くねぇか?」

 

 

 

 

 

 

計り知れない、その背中に背負うもの

 

”太陽”、”センター”と評され、メンバーからも重厚で心酔しているかのような信頼と期待を向けられ続けている

 

それらは彼にとって重荷ではないのだろうか。

 

それらを向けられることで、自分というものが狭められないのだろうか。

 

 

 

 

 

辛くはないのだろうか。

 

 

 

 

 

考えてみてほしい。

センターに立ち続け、自分が自分らしくありたいと思うであろうグループには自分のことを心から信仰しているかのような思いを向けられ続ける。

 

申し訳ないが、私だったらそのポジションに居たくない。言葉を向けられたくない。

 

なせなら、それらに応えられるだけの自信なんて持ち合わせられないから。

 

 

 

 

 

でも彼は立ち続ける。

 

 

 

彼らの言葉を一心に背負い、センターに立ち続け、グループとしての最終決断者という頭を抱えたくなるような責務を全うし続けている。

 

 

 

 

 

きっと彼にはそれらを担うだけのセンスと度量と、努力からなる絶対的な自信と性格を持ち合わせているのだろう。

 

 

 

 

 

 

やはり、私とは正反対であった。共通項が無さ過ぎた。

 

共通項の無さはどこに起因」とか書いたが、違う、根本的に無かっただけである。

 

 

 

 

 

分からないなりに分かること

 

 

結局彼の心中は理解できない。想像もできないし、なんならしたくもない。

 

 

ただ、彼が”太陽”であることは理解できた。

 

 

 

 

 

彼はSixTONES創世神である。彼がいなければSixTONESは生まれなった。私たちのようにSixTONESに救われる人も居なかった。

 

根源であり、今もなお光をエネルギーとして与え続ける現役の”太陽”であるのだ。

 

 

まるで神話のような、現実のお話である。

 

 

 

 

27年目の彼に幸あれ

 

などとまあブリブリブリ*4と零れる思いを綴ったが、要は彼は凄いってことだ。語彙なんて要らない。というよりここまで書くのに脳みそ使い切って回線がショートしている。

 

 

27年目のジェシーさんに、笑顔で溢れ、総合して幸せが勝るような毎日が訪れますように。

 

そしてこれからの日々が花道でできたレッドカーペットを歩くようなものになりますように。

 

 

しがない一人の筆者から心を込めて。

 

 

 

ジェシーさん、お誕生日おめでとうございます。

 

 

 

*1:ラヴィットで高地さんがギャグマシーンと言われていたのが未だに疑問。ストのギャグ=ジェシーの方程式。

*2:実際は彼らの長く濃密な時間をかけて作り上げられたれっきとした実績の元であるだろうが。

*3:2に同じく。

*4:2023年6月10日放送ANNより

決定ボタンを押す前に期限を確認しよう -SixTONES沼落ちから怒涛の一ヶ月-

みなさま初めまして、ごきげんよう、朱(しゅ)と申します。

 

前回のブログから約1か月。そのブログの締めに『次回、機会があれば沼落ちしてからの怒涛の1か月も書いてみたい。』としたためていた。

 

本当ならすぐにでも書きたかった。なぜならこれを書いている今でも着々とあの一ヶ月のことを忘れているから。あんなに自分の人生の中でもトップクラスに俊敏な動きを見せたというのに。人間の記憶力なんざ所詮そんなもんである。

 

 

閑話休題

 

 

きっかけは「追加公演」

 

私のオタク遍歴のうち、ライブに参戦したことがあるのは関ジャニ∞4回とBTS1回。どちらも東京ドーム。アリーナから天井席まで網羅し、どの席の良さも知っている。

だからこそ、SixTONESの追加公演がドームであると発表されたとき、その会場で彼らの音楽を浴びたい、という漠然とした願望が芽生えたのである。

 

しかし、関ジャニ∞のときもBTSのときも、友人がチケット争奪戦を勝ち抜き私の分まで確保してくれていたのである。今考えると4回も手に入れていたeighterの友人、凄い執念だったんだな...

 

今回自分で勝手に沼に落ちていったため、周囲にはSixTONESを同じ熱量で推している人間がいない。自らの手でドームの席をもぎとらなければならない。

 

 

 

「...っし、FC入るか。」

 

 

沼落ちから半月、人生初のFC入会。このときバイトの休憩中。商業施設のお手洗いの個室。

 

 

とても気分が高揚した。

 

 

私の兄が数年前に嵐のFCに入会していたため、定期的に会報が届いたりブログを読んでいるのを目にしてきた私。ついに、自分も会報でニヤついたりブログが読めるんだ。

入会後のマイページやトップページを一通り確認。

 

 

「...ブログどこ?」

 

 

勘違いと時すでに遅し。

 

ジャニーズFC初心者あるあるだと(勝手に)思っているのだが、FCに入会すればブログも読めると勘違いしていたのである。

 

必死に調べた。どうすれば私は彼らの文章を享受できるのか。このときまだお手洗いの個室である。早く出ろ。

 

 

メールの受信履歴を確認したところ、検索時間は約15分。長いようで長かった。

ようやくJohnny's webの存在にたどり着き、会員登録完了。アーカイブは一週間分だと兄から聞いていたのに実際は12日分くらいあった。思いがけない嬉しさ。

 

 

心がほくほくしていたがその余韻に浸っているわけにはいかない。

私には追加公演に応募するという特大ミッションがあるのだ。なんのために人生初の年会費を払ったと思っている。

 

ここでこれまでの人生を言った振り返る。

 

私は自覚しているだけでも10歳からオタクをしている。ジャンルは渡り歩けど、この10年以上オタクじゃなかった瞬間は一度もない。

しかし、FCに入ったことは一度もなかった。

 

『友人がチケット争奪戦を勝ち抜き私の分まで確保してくれていた』と前述したが、察しの良い人は私が入会していないことに気づいていただろう。

なんならこのサブスクリプション時代、何一つサブスク登録をしていない。YouTube musicユーザーだがこれは兄が家族の分支払っている。何故。

 

そんな私がFC入会を即決するほど、彼らの音楽には惹かれるものがあった。

 

 

さあ、申し込もうじゃないか。このときお手洗いから出てバイト先に戻るエスカレーターの途中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「...応募、終わってるじゃん。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に涙が出そうだった。即刻退会してやろうかと思った。完全な八つ当たりである。

 

 

 

 

まあ、番組協力とか舞台とか、何かしらの応募とかできるし、いつかのライブに応募できるだろう*1しと何とか自分を宥めながらバイト先へ戻る道のりは、いつもよりちょっぴり長く感じた。

 

 

 

一ヶ月以上経って届いた会員証は、噂通りホストクラブのソレみたいであった。

 

 

怒涛の一ヶ月

 

とタイトルにも冒頭にも書いたが、正確には「怒涛にの30分間」である。引用の形を取るため原文ママにせざるを得なかった。なぜ一か月前の私はそう書いた。

 

入会から3ヶ月。今はFCよりもJohnny's webの恩恵を毎日享受している気がする。だって「星降る夜に出掛けよう」落ちた*2もん。「ビートルジュース」当たってほしい。

 

これを読んだ先輩ファンはぜひ「かわいそうな新規だ」と笑ってほしいし、未来のFC会員には同じ轍を踏まないよう反面教師にしてほしい。

*1:実は一般応募待ちしていたが、あまりにも落選した人の嘆きがTwitterで流れまくっていたためここでも軽く絶望した。

*2:『すべて落選』の文字を見たときに、如何に自力で当てることが難しいかを嫌というほど実感した。1公演くらい当たるもんだと思っていた。

「二度とジャニオタにはならないだろう」を覆したSixTONES ー空耳で沼落ちー

あーーー、ジャニオタたのしーーーーーーー!!!!!!

 

初めまして、朱(しゅ)と申します。

 

SixTONESに沼落ちして3ヶ月、あまりにも彼らへの推し愛が止まらず困惑の日々。

 

タイトルにもある通り、一度ジャニオタを(事実上)卒業している身であったのになぜ戻ってきたのか。

彼らのどこに、何に惹かれてしまったのか。

 

昨日(4/9)に新日曜ドラマ『だが、情熱はある。』がスタートし、

明日(4/11)にはSixTONESの9枚目シングル「ABARERO」をフラゲする。

この一瞬だけ心が落ち着くタイミングで、一度自分を冷静に見つめてみて、どうして沼落ちするに至ったのかをブログにしたためてみたい。

 

推し変遷

2008年~:嵐

2012年~:関ジャニ∞

2018年~:K-POP

2020年~:ゲーム実況者

2021年~:VTuber(にじさんじ)

2023年~:SixTONES

*1

 

ざっくりと書くとこうなる。

そう、2018年は最後にジャニオタを卒業していたのだ。

正確には卒業とまではいかないのだろうが、音楽を聴いたりバラエティーを観なくなっていった。

 

ではどうやってSixTONESにたどり着いたのか。

キーワードは「YouTube」と「空耳」である。

 

YouTube

2018年にK-POPアイドルにハマってからというもの、供給のプラットフォームは専らYouTubeである。それまで生粋のテレビっ子であった私はたちまち娯楽の場をリビングのテレビ前から自室に移し、毎日食い入るようにYouTubeのMVや自主コンテンツを見まくった。

 

2020年にはコロナ禍となり、何の気なしに開いたUNO動画*2をきっかけとしゲーム実況者にハマり、流れでVTuberまで辿り着いた。

ゲーム実況者もVTuberも、もちろんメインの活動場所はYouTube。この時すでにテレビから離れて早4年。将来1人暮らしをするようになってもテレビは要らないだろうな、など漠然と考えるようになるほどであった。

 

おすすめ機能

2022年の暮れ、11月頃ぐらいからだろうか。当時再生履歴も検索履歴もVTuberかゲーム実況かで埋め尽くされていた私のYouTubeが突如「Good Luck!」と「Party People」を勧め出した。

youtu.be

youtu.be

 

 

 

ん?????????

 

 

 

いや、知らん知らん。誰?あ、SixTONES。名前は知ってる。2020年に2組同時デビューしたグループね(当時ゼミの先輩がファンだったためなんとなく知っていた)。デビュー曲が渋いほうね。髙地くんがいるグループだ(「スクール革命」で昔から髙地優吾という存在のみ知っていた。)。やたらチャラいサムネだ。あら、こっちはスーツ。ほおん…。

 

 

 

 

とまあつまり、完全無視。

この頃聞いていたのはほとんどVTuberの推しによる歌ってみたかボカロ曲(!)だったため、ジャニーズの曲を出されても興味が湧かなかった。ちなみにジャニーズが曲をYouTube上に公開するようになったことに関しては、嵐のことがあったため違和感を感じることは無かった。要は、クリックする動機がなかったのだ。

 

 

そうして時は流れて2023年1月。

 

 

 

 

 

 

「まだ出てくるんか!!!!!!」

 

 

 

 

驚きを隠せなかった。

おすすめに上がってくる動画はせいぜい2か月もすればフェードアウトするもの。しかしYouTubeは謎に粘った。どんなアナリティクスが働いていたのか。知る由もない。

しかしここまでしつこいとさすがに気になる。髙地くんいるし、彼がどんな感じでアイドルをしているんか見てみようじゃないか。

同じクラスの奴がなんかテレビに映ったらしいぞ、くらいの軽い気持ち(なんならからかい)で「Party People」のサムネをタップした。それがもう戻れなくなる大沼への第一歩になるとはつゆ知らず。

 

「あの…以前どこかで…?」

髙地優吾のことは知っていた。2009年頃から私の家では毎週日曜日お昼に「スクール革命」を見ていたから。案の定チャラそうなMVに髙地くんがいる。なんか頑張ってチャラさ出している。可愛らしい。細くない?そんな細かったの髙地くん??

 

…ん?そういや出だしの彼知ってる。なんで?どこで見た?背高っ。その体格からそんなやわらかい声が出るの?

なんやこの金髪の彼、顔強い。美。綺麗だ。ちょっと小柄なのか?それとも出だしの彼との差が激しいだけ?

...あ、この人知らんな。でも顔が良い。塩顔だ。え、がなり出来るの?そんな今どき塩顔フェイスしておいて歌上手くない?声良っ。

お、ラップあるんだ。この声いいな曲調にあってる。てか一番曲にあっているな彼。そういえばあなたもどっかで見たことあるような。

あら?2番で髙地くんの前のパート歌っている彼知ってる。見たことある顔立ち…てか今どきジャニーズ(というか若い男性全体)の中でこんなにがっちりした骨格の人いるんだ。いいじゃん。声一番アイドルっぽいな。眉毛太いな。

 

6分の1すでに知っていて、6分の3(2分の1な)以前どこかでお会いしたことありますか状態だった。困惑。なんでこんなに既視感があるの?

 

気づいたら指は「Good Luck!」に触れていた。

 

空耳

曲を開いて最初に戸惑ったのは、ジャニーズのMVコメント欄に誰かが歌詞を書くという文化がないことである。私が今まで触れてきたジャンルのMVには大概誰かがコメント欄に歌詞を(「自分用」と記して)羅列しているか、公式がコメント欄か概要欄に記載してくれているものだった。

これが私の沼落ちをアシストすることになるなんて。

 

え、黒髪??????さっきの曲でも出だし務めていた人よね?黒髪前髪ありの法則*3はハーフな顔立ちの人にも通用するんだ...。

ラップの人だ。笑顔さわやかだな~。曲でこんなに印象変わるんださすがアイドル。

あ、金髪の人。顔力(かおぢから)強。んお急に背景変わるやんびっくり。

...ラップの人こんなにちゃんと歌上手いの??????声好きかもしれん。

来た来た来た髙地くんと骨格優勝の人!!!声の相性良いな。この二人が一番アイドルらしい声質な気がするね(何様)。

ちょ待って?あなたそんなに顔小さかったの???モデルやってる???「かっこ悪くてもいいんじゃない?」???何がだ!!!!!(八つ当たり)相変わらず声が良いな。

 

...一発撮り!?!?!?んでもって歌詞良くないか???

最強応援ソング過ぎ...歌詞見なくても歌詞が入ってくるなんて初めて...*4

間奏でなんかパーってやってる。可愛いね。相当仲良しなんだろうな楽しそう。こりゃファンは見てて楽しい楽曲だろうな。

 

 

ラップ良いな~ラップの声良いな~、声ならこの人が一番好きかm...

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほらどうか今を生きろ!!」

 

 

 

 

 

 

 

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この歌詞好き!!!!!!!!!!!!!!!え!!!!!!!!!この歌好きです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!はい!!!!!!優勝!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

もうお分かりの通り、歌詞を空耳したのだ。

正解は「ほら、Don't look back 今を生きろ」である。

 

言い訳をすると、歌詞のbackのkを発音しない歌い方の影響で「バッ」となり、破裂音聞き取りが苦手な私の耳にはDon't look back「どんるっばっ」が「どっぅっぁ」に聞こえ、神経を伝って脳みそで変換した結果が「ほらどうか今を生きろ」であった。

 

こんなにも重たい歌詞がこれまであっただろうか。

数年前に心が風邪を引き、今現在まで風邪を拗らせているのだが、そんなメンタルにあんなさわやかな笑顔で「どうか今を生きろ」がぶち込まれた。ちょっと泣いた。

 

 

これが沼落ちの瞬間である。

 

 

 

そこからはもう早い。おすすめしてくれた友人が引くほどに沼落ちから情報を集めきるまでの速度が速いことを自負している私は、その日のうちに全員の顔と名前、生年月日、あだ名、コンビ名、ギャガ―(またの名を太陽)、トマトカオス不憫ハマの番長元気100倍モリパンマンMC等々...基本情報から関係性、結成に至るまでの経緯やデビューまでの道のり、その後の活躍まで、大半の情報をかき集め、その重さでしっかりと頭の先まで沼に浸かることに成功した。

 

今回は沼落ちまでの経緯を書き連ねてみたが、こう見るとSixTONESにたどり着くのは運命、予め用意されていた道筋だったのではないだろうかと考えてしまう。

幼い頃からジャニーズには慣れ親しんでおり、プラットフォームがYouTubeに移り、耳が悪く空耳した結果現在の精神状態に沁みわたり、今に至る。

 

まさに「あの日の偶然の出会いから始まった」SixTONESオタクの「物語」である。

 

次回、機会があれば沼落ちしてからの怒涛の1か月も書いてみたい。1月中旬に落ちてからの1か月は自分の決断力と行動力がカンストしていた。ブログへのしたため甲斐があるだろう。

*1:重なっている時期は割愛

*2:

【4人実況】凶悪ダークドロー5!生まれ変わったUNO FLIP対決!! - YouTube

*3:私が推しアイドルに求めがちな髪型

*4:耳がそんなに良くないため音は聞こえても意味のある文章として入ってこないことがよくある。そのため初見で歌詞カード無しで歌詞が入ってくるのは異例だった